西村伊作は1921年に芸術を主においた教育を行うために文化学院を創立しました。既成の枠にとらわれず自由で美しいものを追求するという教育方法は当時としては斬新で実験的であり、学生たちは卒業してから個性を開花させました。
「小さくても善いもの」の伊作の言葉どおり小さな学校でありながら、卒業後に彼らが進んでいった分野はまさに百花繚乱―美術、デザイン、工芸、陶芸、建築、音楽、文芸、舞踏、芸能、映像、写真、服飾、学術、ジャーナリズムなどと多岐にわたり、自由でユニークな個性を発揮しています。
今年の企画展では、戦後から昭和の終わりまでに文化学院で学び、主に美術、デザイン、工芸、陶芸、文芸の分野で表現活動をしている人たちを紹介します。
小野寺玄(陶芸)
坂倉新平(絵画)
石丸寛(絵画)
久里洋二(絵画)
志村ふくみ(着物)
丹阿弥丹波子(版画)
西村ソノ(墨象)
西村八知(絵画)
吉屋敬(絵画)
宮脇愛子(彫刻)
石井竜也(彫刻)
杉本苑子(作家)
神沢利子(作家)
木村梢(作家)
吉沢久子(作家)
きたやまようこ(作家)
辻原登(作家)
矢野誠一(演芸・演劇評論家)
同時開催として、新宮市の「西村伊作自邸Ⅲ(西村記念館)」の復元工事が3年を経て終了したのと、「チャップマン邸」の改修を記念して、その経過を写真と模型で展示し、居間を中心とした住宅建築から、家族中心、教育、生活改善を考えた西村伊作の思想の原点を探ります。
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西村伊作は大正デモクラシー期を代表する文化人の一人です。彼は大石誠之助と日本人の生活近代化に取り組み、生活の改善や教育・住宅の改革を説き、当時の人々から熱い支持を集めました。伊作の叔父の大石誠之助は明治末期の大逆事件で処刑された医師で、本年、故郷の新宮市の名誉市民となり注目されました。
伊作には9人の子供がいます。長女アヤが中学にあがるのを期に、彼女の通うのにふさわしい学校が必要と考え、1920年夏に与謝野鉄幹・晶子夫妻らと軽井沢、沓掛で相談し、翌年東京駿河台に文化学院を創立し、自由で伸び伸びとした教育を実践しました。
留学が珍しい戦前は、今とは困難の度合いが全く違う状況でしたが、子供たちは、伊作の勧めもあり、独自の考えで海外に向かったのでした。
一方で、軽井沢は西村家にとって特別な意味を持っています。伊作が文化学院の設立を決めたのは軽井沢であり、1920年代には軽井沢に住み始め、1930年に土地を購入し、家族の為にコテージをいくつも建てました。以降西村家にとって軽井沢の家は、現在も海外に散らばる家族をも含め、一族の集いの場所となっています。そんな家族の歴史、子供たちの生き方を当時の貴重な写真、絵画などで紹介します。同時に、新宮での初期の伊作の絵画を展示致します。
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上野の国立西洋美術館が昨年「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献」の一つとして世界遺産に登録されました。
ルヴァン美術館ではこの機会に同時代に生きたル・コルビュジエ(1887~1965)と西村伊作(1884~1963)の二人を紹介致します。
生涯にわたり建築や絵画などの活動に打ち込んだ二人の生き方には、西欧と東洋を超えた「自然と人間への愛情」が感じられます。また作品とともに当時の社会へ発信したメッセージの多くにも共通した想いが見えてきます。 ともに建築の専門教育を受けることなく、時代の精神を先取りした建築作品を世に送り出しました。
画家としてもコルビュジエは晩年まで毎朝キャンバスに向かっていました。 彼は「自分の建築は絵画という運河を通ってきた」と自身における絵画の重要性を述べています。
一方伊作は「芸術を生活として」自由奔放に建築、絵画、陶芸の制作に没頭しました。
今回の展示は、伊作は彼が最も情熱を注いだ大正初期の建築、絵画を中心にした作品、コルビュジエは世界遺産の7か国、17の建築作品と、彼の弟子の坂倉準三に贈られた絵画及び、準三の妻ユリ(西村伊作次女)によるコルビュジエ詩画集「直角の詩」のタピストリーの作品を展示します。 同時にル・コルビュジエと深くかかわり、日本との懸け橋となった坂倉準三の建築作品も紹介致します。
この企画展を通して、同時代に生きた二人の芸術家西村伊作とル・コルビュジエ、その志を受け継いだ建築家坂倉準三の情熱を感じて頂ければ幸いです。
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今年はルヴァン美術館開館20年にあたります。 記念の企画展として、西村伊作の絵画・陶芸や、建築・教育など社会での活 動、戦中の様子などについて紹介し、加えて二人の弟たち、真子(マーク) 七分(スティーブン)についても遺された写真・絵画を展示します。 伊作が最も活躍した大正デモクラシー期は、人々が家庭生活のあるべき姿を 真剣に模索した時代でした。そのような時、彼は生活の器である「住宅」や、 子供たちの「教育」の理想を具体的に示し、一躍「時の人」となったのでした。 1921(大正10)年、彼は与謝野晶子らの協力を得て『文化学院』を創立すると 共に、自ら事務所を開き住宅を主とする建築活動を行いました。 彼はまた、自身の生活の中に絵画や陶芸の創作など「芸術」を取り入れ日常を 豊かにするとともに、創意工夫を凝らして改善された「生活」そのものも「芸 術」と考え、その創造を自らの喜びとしました。 このような生活の中で、彼は 何げない近隣の風景や発展し変わりゆく町の姿を描きました。 今回これらの未 発表の伊作の絵画も多数展示します。
この企画展で紹介した伊作の主張や姿勢が、今後の日本人の日常生活を考える上で、示唆に富んだものとなれば、幸いに存じます。
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この展覧会は、太平洋戦争直前という困難な時代に、文化学院に学んだ小野元衞 とその実の妹・志村ふくみの人と作品を紹介するものです。 西村伊作は1921(大正10)年、自由な教育を目指し文化学院を、東京駿河台に 創立しました。戦争直前の暗い世の中で、二人が学んだ文化学院だけは別世界で、 思想的にも、日常的にも抑圧のない伸び伸びとした環境で、校長の伊作は最後まで 反戦を貫き、投獄されても教育方針を枉げることはありませんでした。 この文化学院での学びが元衞・志村ふくみ兄妹に開花する感性、芸術性の根幹に 影響したと思われます。二人にとっては、まさしく青春の輝けるひと時でした。 小野元衞は重い病と闘いながら絵筆をとり続け、多くの絵画を残しながら、若く してこの世を去りました。芸術に対して純粋だった兄に恥ずかしくない仕事をし たいとふくみは常に念じながら、織物を続けてきました。繭から手紡ぎした糸で 織りあげる紬織の人間国宝 志村ふくみが、草木染めに魅せられ、手仕事を次世代 につなげようと歩んできたこれまでの「織の道」の一端を兄・小野元衞の作品と 共に展示致します。
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明治維新以降、我が国は欧米から科学技術を取り入れ急速に近代化しましたが、人々の生活は一部を除き旧態依然としたものでした。伊作はこのような状況を憂い、今後世界に生きる日本人の私生活の近代化、衣食住や教育の改革に真剣に取り組みました。伊作は生活の中に絵画や陶芸の創作など「芸術」を取り入れ日常を豊かにするとともに、創意工夫を凝らして改善された「生活」そのものも「芸術」と考え、自らの喜びとしました。そして彼は自らの生活の理想を現実のものとした我が国における先駆者となったのです。
本企画展では、伊作の活動の背景、生活実践、社会での活動、戦中の伊作等々をご紹介します。伊作が活躍した時代と今日とは状況が大きく変わることはいうまでもありませんが、彼の主張や姿勢は、現在社会でも通じる普遍的なものが含まれています。
この企画展が、今後の日本人の日常生活を考えるうえで示唆に富んだものとなれば望外の喜びです。
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西村伊作は大正デモクラシー期を代表する文化人の一人です。彼は日本人の生活の改善や教育・住宅の改革を説き、当時の人々から熱い支持を集めたのでした。
大正10(1921)年には与謝野寛・晶子夫妻らの協力を得て、東京に文化学院を創立し、自由でのびのびとした教育を実践しました。又同年、西村建築事務所を設立し、数多くの家族本位の住まいを建築したのでした。彼の活動はいずれも、昭和戦後の教育やすまいの先駆けとなっています。
彼にとって軽井沢は縁の深い避暑地です。文化学院が芽生えたのもこの地であり、又旧友で後に浅間高原教会の創立牧師となった沖野岩三郎ともこの地で親しく交流し、外国人宣教師らの住まい方を高く評価し、自らの生活改善に取り入れました。
さらにこの地で彼の理想を具体化した興味深い作品を残しています。 このたびの企画展ではこれらの事を紹介し、我が国近代の教育史や住宅史に大きな役割を果たした西村伊作の軽井沢での足跡をたどります。
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1988年から2007年までの19年間、文化学院の校長としてそのユニークな存在で学生達に愛された八知先生が、2012年2月4日に天に召されました。1997年には軽井沢にルヴァン美術館を創設し、大正の芸術家達が創った文化学院の「夢と風の思想」を世に送る為に館長として今日まで携わってきました。 今年は追悼展として「西村八知と文化学院」と題し、八知先生が愛されたここルヴァン美術館で先生を偲んでいただきたいと思います。
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西村伊作の墓は奈良県の山奥のある村にあります。
黒い四角な石に伊作の陶板がはめ込まれています。
その陶板には馬の走っている絵があります。
ぼくはそのお墓へ行っても祈ったりはしません。
ただちょっとご挨拶するだけです。
ぼく達は伊作の命日とかに何もしません。
祈る仏壇のようなものもないから、祈りません。これがうちのやり方です。
さて、今年の美術館の企画には伊作を知って教わった人達の出品です。
こうしてただ時々思い出す・・・・・。それが伊作への祈りです。
伊作は宗教くさい儀式なんか嫌いだからこんなのでいいのかなと思います。
儀式や形式や主義から外れて、自由なとらわれない気分になって、はじめて新しい創造が生まれる。
これが伊作の皆に残した思想ではないかと思うのです。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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人生は楽しくありたい。せっかく頂いた命なんですから・・・。
出来たら、美しいものにふれる喜びの機会をより多く・・・。
そんな気持ちで、この美術館は仕事を進めています。
今回は、暫く「芸術作品」という重荷を解いて、楽に見て
楽しいものにしたつもりです。
それは素朴さがいい。素朴といえば、人間の大昔から作って
いたテラコッタがある。粘土で形を作り、素焼きににしたものが
世界中に昔からあって、人間の可愛い心を見せてくれている。
今回はこのテラコッタの心を楽しんでいただきたい。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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良い建築とは、その建物の大小に関係なく、ひとり気高く、ひかり輝いているものである。それをぼくが知ったのは、まだ中学生の頃であったか、坂倉準三の作品を見たときであった。坂倉準三はル・コルビュジェのアトリエで7年程、仕事をした。ル・コルビュジェはじめ仲間達は彼をサカとよんで、愛されていた。その若き時代の彼に、パリ万博博覧会の日本館の仕事が舞い込んできた。彼は見事に日本の伝統と近代性を調和させた仕事をして、青年建築家、坂倉はグランプリを受賞して、パリ中に名を知られた。日本の伝統と近代性というのは、日本の家の外形をただ、つぎはぎに取り入れたのではなく、その精神の美を新しく捕まえる、その美だということを、僕は中学生のときに知ったのであった。今回の企画では彼準三とユリの交友関係のあった、あのパリの良き時代の雰囲気も入れてみます。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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富本の陶芸は独自の世界に通じる若々しい美がある。だがそれだけではない裏の面も今回は知ってほしい。西村伊作は紀州の新宮に住んでいた。そこに友人である富本は客になって一緒に陶芸を遊んだことがあった。当時、伊作はわが家の建築をはじめ家具や道具や料理まで、世界に通じる美を求めていた。たとえ粗末なものであっても、良いデザインにより豊かになり、生活が文化的となる。文化とは物質的な贅沢ではなく、小さな心の贅沢のある生活なのだ。その思想は、富本に影響をあたえ、日常生活にも本職の陶芸と並行して美しいデザインを求めたのであった。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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今年の企画展としてー郷愁の街の人ー 風間完、をとりあげました。
誰もが共感できるその世界は、色々な小説や雑誌のさし絵等で皆様の目にふれることがあると思います。
彼はさし絵だけでなく、画友である脇田和や猪熊弦一郎などと新制作協会展に毎年風景画など出品していました。その美しい風景画は彼の好きなパリや京都であり、写実の絵ながら俗っぽくなく、キリッとした、洒落た、そして粋なところが魅力なのである。気軽に楽しみながら御覧くだいさい。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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人生を豊かなものに・・・
文化学院を創った西村伊作はその思想で、人にも自分にもその悦びを持ちたいと考えていた。
絵画、陶芸だけでなく建築事務所を持ち、住宅、教会などやった。
今の日本人には建築に関心を持たない人が多いが、これはおかしい。我々の人生には衣服や道具と同じく毎日、目にふれるものであるのに。
そこで今回は20世紀の世界的な建築家のル・コルビジュエと彼の美の創造の基である、めずらしい絵画のなどの展示を通して皆さんの目覚めた目から日本の街の建築を見つめなおして下さい。どんなに、つまらない建築が我々の人生をつまらなくしているか、見えてくると思います。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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西村伊作は中学生の頃から夢を持っていて、授業中にもこっそり愉しい学校や住宅の図面などを描いたりしてりした。
この夢から大正10年に小さな学校が生まれました。
これが文化学院です。
小さくても良いもの、たとえ質素であっても美の調和があれば、心の愉しさがあれば、それは一つの大きな贅沢なのではないか?偉大なもの、豪華なものには手が届かなくても、小さく、ささやかなもので美しいものには手が届くであろう。みんなの忘れかけた幸せは案外そこにあるのかもしれない。
伊作はそれをやってみせたのである。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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今回の企画は西村伊作を中心に人間の生き方をみようとするものです。人間の生き方は色々とあるが、伊作の生き方の「生活を芸術として」は、悦び、愉しむという贅沢な、そして誰にでも出来る質素な贅沢なのです。それは美の贅沢です。例えば伊作は自分で創った学校で若者たちに道徳を教える代わりに美術を教える。
美しいから善なのであり、醜いから悪であり、そこには既成の善悪をおしえることはしない。
ひとの作った決まりを鵜呑みにしないで先ず自分で考える。
その考える時に美の感性が加わる。そして、なるべく自由に!
伊作はみんなの嬉しそうな顔、そんな社会を創りたかった。現代人の忘れてきた幸福、それをもう一度考えたい。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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今回の企画は西村伊作を中心に人間の生き方をみようとするものです。人間の生き方は色々とあるが、伊作の生き方の「生活を芸術として」は、悦び、愉しむという贅沢な、そして誰にでも出来る質素な贅沢なのです。それは美の贅沢です。例えば伊作は自分で創った学校で若者たちに道徳を教える代わりに美術を教える。
美しいから善なのであり、醜いから悪であり、そこには既成の善悪をおしえることはしない。
ひとの作った決まりを鵜呑みにしないで先ず自分で考える。
その考える時に美の感性が加わる。そして、なるべく自由に!
伊作はみんなの嬉しそうな顔、そんな社会を創りたかった。現代人の忘れてきた幸福、それをもう一度考えたい。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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大正時代は面白い時代だ。大人が立派な大人であるのが建前であった明治時代からみると、大人に子供の心が欲しくなり、そのほうが人間的だと思った大正の作家たちは子供の世界にあこがれて童話を書いたりした。
イタリアの有名な童話「ピノキオ」が初めて日本で本になって紹介されたのはその頃で、それは小学生の少女、西村アヤによってであった。英訳の「ピノキオ」を夕食後に父が訳しながら話してくれた物語を自分の絵を入れながら雑記帳に書いていった。当時、新聞、雑誌に大きく紹介されて人々に衝撃をあたえたものである。
大正の文化の人たちの求めた心のユートピア、その一つである大正の童話は他の時代と異なった雰囲気を持っていると思うのである。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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いろんな人がいる。美人ではないが美しい人。ぼけているようで頭の良い人、偉くないんだが面白い人、いろいろとかわっている人達が文化学院を巣立っています。
この学校は世間からみるとだいぶ変わっているようです。何しろ変わっている芸術家達が創った学校なんですから・・・。
こんな企画をたてました。つまりこの学校を出たいろんな人の素晴らしい仕事とその出発点についてです。魅力のある人格から魅力のある仕事が生まれるという文化学院の思想です。なおここに入れられなかった人達で素晴らしい人が沢山います。
「偉く有名にならなくてもうよい、生まれた甲斐のあるよい人に・・・」
これが創立者西村伊作の言葉です。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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1920年軽井沢に西村伊作、与謝野野寛・晶子夫妻、石井柏亭、河崎なつが集まった。歓談の中で伊作が我が子を本当に行かせたい学校がないという話になり、「それでは子供達のために私達で学校をつくりましょう」と云う事になって、文化学院の設立が決まった。本当に優しくて良い学校、ほかの学校のように規則や点数でしばるのではなく、豊な感性を持った人間に!伊作や晶子たちの情熱が今回の展示でいろいろと見えてきます。その知られざる事柄が当時に学生達の言葉からも伝わってきます。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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久里 洋二
1928 福井県生まれ
1956 文化学院美術科卒業
1962 ヴェネチア映画祭でサンマルコ獅子賞を受賞
1962 NTVで11PM出演・18年間アニメを発表
1970年代から油彩作品を発表、以後 個展、グループ展等多数開催
文化学院の自由と美の思想がこの美術館となりました。この建物は文化学院が誕生した時(1921年)の校舎をほぼ再現したものです。英国のコテージ風に創立者西村伊作が設計した楽しい建築と庭園は当時話題となったものです。
この美術館は、大正の夢と風の記念碑として設立されました。この美術館び建物と庭園に見られる質素ながら美しい雰囲気は文化学院創立当時の姿を見せて美の散歩として楽しめるものです。
ルヴァン美術館館長
西村八知
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